Don't Touch! 3

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file1 「ignition」


 ああ、なんかダルイ、疲れた、眠い。
 だけど、この微妙な緊張感と雰囲気は何なんだ?
 いつか香奈が誰かさんを呼び出した、人気のない場所、視聴覚教室前。そこに、今日は私が呼び出された。
 悪いことした覚えはない。
 だけど、人間は人知れず罪を犯したりする。
 でも、ちょっと違うのは、目の前の彼が私を睨んでるわけでも憎んでそうな感じでもなく、ちょっとはにかんだ笑顔で、肝心なことが言えないみたいなふうで私を見つめてること。
 見つめられてる私も、いつもの似非笑顔を必死で作って首なんか傾げてみる。
 なんか、なんていうの?
 まるで、少女漫画に出てくる告白シーンみたいな。

「急に呼び出してごめん。でもさ、こうしなきゃ、ゆっくり話せないと思って」
「……はぁ」

 曖昧に返事をして、私、桜井しおり(さくらい しおり)は彼を見上げた。
 ゆっくり話すって一体何を、とツッコミたくなるぐらい、私はこの人と面識なんてない。
 イッコ上、三年生の先輩。
 背はひょろりと高くて、優しそうな表情に、パーマのかかった長めのヘアスタイルはよく似合ってる。
 それなりに格好良いって言えそうな感じ。
 想像だけど、たぶん私服のセンスも良さそう。
 だけど。
 だから。
 どうしてそんな名前も知らない先輩が、私のことを呼び出して、ゆっくり話したいだなんて思うんだ?
 夏休みも、修学旅行も終わって、いよいよ受験勉強まっしぐら!!
 だけど、私は相変わらずの補習、追試の日々。
 進学なんて放棄したいし、将来の夢なんてよくわかんないし、私はとにかく勉強ってモノから解放されて人間らしく生きていけたならそれでいいと思ってしまう。
 なんて、こんなこと考えてる場合じゃない。
 目の前の先輩が、一歩私に近づいてきて、その距離の近さに私は一歩後ずさる。

「あ、ごめんね。そんな、怖がんないで」

 誰かが開けたままの窓から、夏の暑さから想像もできないような、冷たくなってきた風がふたりの間をすり抜けていく。
 私の唯一の自慢である、黒いストレートロングの髪がふわり、揺れた。

「桜井さんて」
「はい」
「誰か、好きな人いるの?」
「えっ」

 ゆっくり話がしたいと言うわりには、随分単刀直入なことを聞かれて、私は驚いて先輩を見上げた。
 その口元は柔らかい笑みを浮かべてるけど、瞳は真っ直ぐ、真剣で。
 
「あ、あの…それは……」

 なんとなく濁してみる。
 だって、どうしてこんな見ず知らずの先輩に、私のそういう誰にも話したくないようなことを教えなきゃいけないんだ。

「じゃあ、北原とも付き合ってないの?」
「へっ!? そ、それはナイですよ、ナイです、ナイ、ナイ」

 そう、ここはちゃんと否定する。
 っていうか、どうしてこんな先輩まで、そんなこと聞くわけ?
 もう、ホントに頭痛い。
 首を振って完全否定すると、先輩はにっこり笑った。

「そっか。良かった。じゃあ、俺と付き合ってよ」

 それもまた、話が別だと思うんですがっ!
 予想してたけど、予想外の速さの展開に、思わず開いた口が塞がらない。
 だって私、先輩のこと、何にも知らないんです。
 こんなふうに、見た目はちょっと格好良いかなって思うけど、どんな人かさっぱりわからないし。

「今日、一緒に帰ろう。俺、もっと桜井さんのこと、知りたいんだ」

 不意に伸びてきた手が、私の腕を掴む。

『早くうんって頷けよ』

 優しいカオから想像できない、強く黒い強引な意識。
 彼の指先から伝わり、私の頭の中でだけ響く、先輩の心の中の声。

「あの、私」

 はっきりとした答えを言わなきゃ、わかってくれそうにない。
 私が顔を上げた時だった。

『キスすりゃ、大人しくなるだろ』
「嫌ッ!」

 思いきり、突き放したつもりだったのに、先輩が腕を掴む力のほうが強くて、あっという間に引き戻される。
 ヤダヤダ、嫌ッ、何なのよ! この暴漢!!
 こんな男に初めてのキスを奪われるなんて、絶対、嫌っ!
 顔に近づく気配に目線を上げると、すぐそこにある、いやらしい男の傲慢な目つきに睨まれた。
 ああ、もうダメ、怖い。
 きっと私、この体験のせいで、世の中のパーマかけた優しい顔の男にトラウマを持って、本当に大好きな人とキスするときも、今の感じが蘇って、怖くなってキスできないんだ。
 一生、この人のせいで私は……。

「あぶねーぞー」

 諦めとともに、涙がこみ上げてきた時、そんな間の抜けた高い声が聞こえた。

「何だ?」

 声のする後ろを振り返った先輩の顔に、次の瞬間バスケットボールが直撃した。
 先輩の大事な顔にバウンドしたあと、ボールは転がり、それを投げた持ち主のほうへと戻っていく。
 呆然とする私の横で、のけぞってそのまま廊下に倒れた先輩は顔面を抑えて呻いた後、体を起こした。

「何やってんだよっ!!」
「あ、すいませんでしたー、俺、バスケ苦手なんで、伊吹に手ほどきしてもらってたんですよ。いやぁ、まさかこんなところに人がいるなんて思ってなかったんで」
「なっ……」

 笑顔で喋り続けた彼は、細めていた目を先輩に向ける。
 体は小さいけれど、その身震いするような三白眼に睨まれ、先輩の体がびくりと揺れた。
 彼の横にいる、頭ひとつ分背の高いもうひとり、ボールを手にした冷酷な瞳の持ち主は、一度ボールをバウンドさせて無言のまま、先輩を見つめる。

「俺、極度の運動オンチで、パスすら受け取れなくて。あ、またやるんで、当たりたくなかったらどっか行けよ、テメェ」

 努めて明るく、はきはきとした口調なのに、最後の言葉遣い、間違ってるから!
 先輩の歯を食いしばる音が聞こえてきそうだ。

「ほら、川島、やるぞ」
「だな、伊吹」

 もう一度、バウンドさせると、明らかに先輩を狙ってボールを構える。

「お、お前ら……」

 頬を押さえていた先輩は、立ち上がると優しかったはずの顔を歪めて再び私の腕を掴んだ。
 咄嗟に私は、頭の中にある意識の扉を閉じた。


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