Don't Touch! 3

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『進路希望調査表』
 図書室にある個人学習用の小さな机に向かい、私はその用紙とにらめっこしていた。

「どうしよう」

 思わず頭を抱え、自分のレベルに合っていると思われる、進学先の資料が入ったバインダーをぺらぺらめくる。
 両親は、私が地元の大学に進もうが、この街を離れようが、こんな進学校に入学しながら就職しようがかまわないと言ってくれたけど。
 ふと、お姉ちゃんのことが頭をよぎる。
 姉はごく普通の公立高校へ入学、そこから国立大学外語学部へ進学し、同じ大学でめぐり逢った先輩と結婚した。
 いまや、外交官の妻として海外を転々とする一児の母でもある。
 そんなスバラシキ天真爛漫な姉と比べて、私はどうだ?

「はぁ……」

 まわりにおだてられて、この全国でも指折りの進学校に入ったものの、だ。
 集められた精鋭の中で、私のレベルは下の下の下の……。
 かといって、文武両道のこの学校でスポーツができるわけでもなく、とにかく私は見事な落ちこぼれ。
 この先、高校を卒業してまた四年勉強するなんて、考えても鳥肌が立つ。
 お姉ちゃんみたいに早く結婚して幸せな家庭が築けるなら、私はそっちの方がいい。
 でも、それには。
 私は自分の両手を広げて、まじまじと手のひらを見ると、ゆっくりその手を握り締める。
 そして机に突っ伏した。

「こんな能力、無かったらなぁ」

 ぼそりと独りごちると、見ても意味の無いバインダーを閉じた。
 触った人間のココロの声が聞こえるなんて、そんな能力が無ければ、きっともうちょっと私の人生は幸せだったはずだ。
 私の頬の下にある白紙の進路希望調査表をぐしゃりと潰して捨ててしまいたい衝動に駆られた時、スカートのポケットの中で、ケータイが震えた。

16:47 川島くん
『部長、どこにいんだよ!?』 

 面倒で返事は打たずにディスプレイを閉じる。
 これ以上出そうになる溜息を、ギリギリのところで食い止めて飲み込んだ。
 溜息吐くと幸せが逃げるわよ、なんてホリちゃんは言ってたけど、出したいものが出せないことって、思ってたよりストレスが溜まる。

 北原は、進路どうするんだろう。

 修学旅行中、偶然会った北原から、私は意外なことを聞かされた。
 将来の夢、そしてちょっとした家の事情。
 あの時から、尚更私は北原のことを意識してしまうようになったんだ。
 だけど。
 そんなの、もういい。
 このところ、北原が温室に来るのをまるで見計らったかのように、彼女、愛美先輩も温室にやって来る。
 理事長の趣味で作られたガラスの温室は、かつて私と倉田先生だけのオアシスだったのに、そこに土足で踏み込んできた北原がいつの間にか居座るようになり、同じように川島くんにとっても、お気に入りの場所となった。
 そして今は、北原と愛美先輩のベタツク場面を見せ付けられる、なんとも不愉快な場所になってしまったのだ。
 別にかまわないと最初は思っていたけれど、あまりに露骨にされると気分が悪い。
 北原もそんな愛美先輩を嫌がるでも喜ぶでもなく、相変わらず感情がよくわからないし。
 結局私は温室から足が遠のいてしまって、ここ2、3日はあまり縁のなかった図書館で過ごしている。

「勉強中に、ごめんなさいね」

 静かで柔らかい声が降ってきて、私はそっちへ顔を上げる。

「えっ」

 誰かと思えば。

「ちょっと、桜井さんに聞きたいことがあるんだけど、今、大丈夫?」

 それって、ナンデスカ?
 ここでは言えないようなことデスカ?

「はあ……」

 口元には美しい笑みを浮かべ、だけど目は決して笑ってない怖い顔をして、私を見下ろしていたのは他でもない、愛美先輩。
 いつもなら、北原と温室にいるはずなのにぃ。
 圧倒されて返事をした私は、愛美先輩の後をついて図書室の奥へ向かった。
 女の子らしい曲線を描く髪の毛は、揺れるたびに甘い香りを振りまく。
 男って、きっとこういうのが好きなんだ。私の頑固で折れることを知らないような真っ直ぐな黒髪より、ずっと色気があって可愛らしい。
 図書室の奥には、たくさんの難しい本が並べられた書庫がある。
 愛美先輩は薄暗いその書庫の、またさらに奥へと私を連れて行くと、突然振り返り、私の肩を強く本棚に押し付けた。

『ダイキライヨ』

 頭の中で大きな風船が割れるように弾けた声。
 見上げると、もう口元からも笑みを失った愛美先輩が、今まで見たことのない冷たい瞳で私を見下ろしていた。

『ダイキライ、メザワリナノヨ』

 もう一度肩を強く押されると、背中で古い本棚が揺れる。
 それと同時に肩から伝わる愛美先輩の感情が、頭の中だけじゃなく、私の心臓を激しく揺らした。

「……っ」

 伝わるのは、言葉だけじゃない。
 鉛色の重い憎しみを帯びた感情が、ゆっくりと浸食するように私の身体を蝕んでいく。
 苦しくて思わず胸元を握り、息を飲んだ。

「そんなに怖がらないでよ。聞きたいことは、ただひとつだけ」

 ふっと鼻で笑うと、私の瞳をじっと覗き込んだ。
 まるで蛇に睨まれたカエルのように、私は黙って動けない。
 先輩の感情の侵入を拒むために、頭の中にある扉を閉じようとしても、それを許されないほど強い意識が脳内に響く。

「桜井さんは、伊吹と付き合ってなんかないのよね?」
「……は、い」

 そう、付き合ってなんか、ない。
 私の返事を確認すると、愛美先輩は一転してにっこり笑う。

「ありがとう、それだけちゃんと確認したかったの」

『サセナイ、ゼッタイニ、伊吹ハユズラナイ。ワタサナイ、ゼッタイニ、伊吹ハワタシダケノモノ。モウ、ダレニモワタサナイ』

 意識の刃は私の体内を静かに切りつけていく。

「じゃあ、忠告。伊吹は私と付き合うの。だからこれ以上、彼に近づかないで」

 息が、止まってしまうんじゃないかと思った。
 それを先輩の意識のせいにしたかった。
 こみ上げてくる強い自分自身の感情と、外から注ぎ込まれる愛美先輩の意識と。
 もう、やめて。
 ……壊れちゃうよ。

『あやのニモ、ワタサナイ』

 え……?
 彼女の名前が聞こえた時、不意に先輩の感情の色が変わった。

『あやのニ負ケナイ、負ケタクナイ、ダカラ、伊吹ハワタサナイ!』

 まるで、必死に自分に言い聞かせるような言葉は、さっきよりもずっと弱くて、脆い。
 そしてどこか、哀しく、切ない。

「わかったわね?」

 念を押すようにそう言うと、愛美先輩はやっと私の肩から手を離した。
 いつもの可愛いおねだり上手な猫みたいな表情とは一変、手を出したら腕を食いちぎりそうな虎かライオンか、そんな怖い顔で私を睨むと、彼女は私に背を向け書庫を出て行った。
 愛美先輩の姿が見えなくなると、一気に力の抜けた私は、そのままホコリ舞う床に座り込んだ。
 その場に倒れてしまいそうになる上半身を支えるように両手を突くと、ゆっくり大きく深呼吸する。
 拒みきれない意識が脳内を駆け巡ったあとは、いつもこうだ。
 急激な速度で私の体中を染めた意識は、やがてゆるやかに散り、消えていく。
 ひどい時は、自分の意識も失ってしまうのだけど、今日は大丈夫。

「………」

 最後の、たぶん、あやのさんに向けられたであろう声が、それまでより勢いを失っていたからだと思う。
 それにしても。

「付き合うんだ……」

 そう、愛美先輩は言ってた。
 今まで張りつめていた糸が切れてしまったように、力が抜けていく。
 そして、頭に浮かんだのは、愛美先輩の横で口を開けて笑ってる、楽しそうな北原の顔だった。


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