Don't Touch! 3

back top next novel

file3 「identity」


 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。
 頑張れ、私の白血球。
 そんなふうに思いながらワキの下に挟んでいた体温計を取り出すと、思っていたより体温が高くて驚いた。
 同時に風邪だと自覚すると、一気に気分まで悪くなるから不思議だ。

「あら、37.8℃? あと一時間あるけど、今日は早退したほうがいいわね」

 私の手から体温計を奪ったホリちゃんは、驚いて体温を表示する液晶と私の顔を交互に見た。
 朝から身体がダルかったし、目も腫れてたけど、それが寝不足と泣いただけじゃなく、体調不良で目が熱くなって悪寒が走ったのは、ちょうどお昼を過ぎた頃から。
 もっと早くこの症状が出てくれれば、あんまり好きじゃない物理の授業での抜き打ちテストも避けることができたのに。

「最近、すっかり寒くなったものね。ちゃんとあったかくして寝なさいよ」
「うん」

 私の使った体温計をアルコールガーゼで拭き、ケースにしまうと担任宛の早退連絡メモを書いてくれる。

「ムリして早起きなんかしちゃって、あの地味な部活がんばってるんだって?」

 差し出されたメモを受け取ろうとすると、ホリちゃんはそのメモを渡さないとばかりに引っ込めた。

「伊吹ともケンカしたって倉田先生から聞いたけど?」

 ただでさえ頭が痛いのに、今そんな話題を振ってほしくなかったよ。
 にっこり白い歯をみせて笑うホリちゃんに、私は頭を抱えた。

「病人相手にそんなこと聞くんですか、堀口先生」
「あらあら、じゃあ、この早退メモは捨てちゃっていいのかしら、桜井さん」

 それってパワハラ!
 なんて思っても、今の私にはそれを訴える気力もなく、私はホリちゃんに促されるまま黒い革張りのソファでダルイ身体を横にした。
 倉田先生も、どうしてそういう余計なこと、ホリちゃんに喋っちゃうかな。

「伊吹は伊吹で、めずらしく成績不振らしいわね」
「へっ……?」
「っていっても、解答欄がひとつずつズレてるとか、名前書き忘れるとか、ありえないような単純なミスしてるって」
「……うそ」
「職員室でもみんな心配してるのよ、伊吹とアンタのこと」
「え!?」

 何ソレ!?
 思考回路も熱で鈍くなっていたはずなのに、目が覚めるような話に血の気が引いた。

「伊吹がどうしようもないバカに足を引っ張られるんじゃないかってね」
「……あ、そ」

 真顔でそんなことを言うホリちゃんに、私はゲンナリした。
 どうせ、私はどうしようもないバカですよ。
 だけど、その私が北原の足を引っ張るなんてした覚えはない。

「伊吹って、『そういうこと』にメンタル面で左右されないと思ってたんだけどねぇ。で? ケンカしたってどういうことなのよ。あれから進展してないの?」

 いままでの出来事を、私の能力を知ってるホリちゃんには全部話した。
 突然現れた愛美先輩に忠告されたこと、そのことで北原を避けていたこと、そして、北原に自分の本心を、私の能力を使って『覗け』と言われたこと。

「私が、北原の言ってることを素直に受け取らなかったのは、悪かったと思ってるけど。それを確かめるために、『覗け』って言ったのよ。北原が、私のこのチカラのこと、そんなふうに見てるんだって……ちょっとショックだったから」

 いっぺんい喋りすぎて、頭がガンガン痛い。
 熱くなってる目頭には、自然と涙が浮かんでくる。
 
「随分些細なことに引っかかってるのねぇ」

 今私が抱えている最大の悩みについて、随分些細だと言われて正直むっとした。

「結局、ふたりとも、好きなんでしょ。お互いのこと」

 あっけらかんとしたホリちゃんに、言い返そうとした言葉を失った。

「そんなの……わかんないよ」
「まぁ、ふたりがどうなろうと関係ナイといえばナイんだけど。可愛いイトコと親友の妹の恋路をなんとか上手くいかせたいって、お節介な保健室の先生は考えるワケ」

 仁王立ちのホリちゃんにひれ伏すしかないと思ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。

「失礼します」

 ドアが開くと、女性の声がした。
 ちょうど背を向けた状態の私は、振り返るのが面倒でそのままソファに寝そべっていた。

「先生、お久しぶりです」

 その声に、今まで眉間にシワを寄せて話をしていたホリちゃんが、目を丸くしてぱっと笑顔になった。

「驚いた。……元気そうね」
「はい、おかげさまで」

 スリッパを履いた足音が近づいて、私も重い体をなんとか起こす。
 楽しそうなホリちゃんと彼女の会話に、たぶん、卒業生なんだろうと漠然と思った。
 ふと彼女のほうを見ると、向こうも私のほうに気がついて、とたんに申し訳なさそうにごめんなさいと頭を下げる。

「あぁ、いいの。この子は大丈夫だから」

 あっはっはと笑ってそんなことを言うホリちゃんを睨んで、私はまた彼女に目を向けた。
 真っ直ぐな黒髪に、ホリちゃんと変わらない長身。
 けっして派手ではないけど、端整で上品な顔立ち。
 そして、キレイで透明な声。
 彼女が微笑むと、私まで癒されて、つられて笑顔になりそうで。
 どこかで会ったことがあるような気がして、私は発熱中の頭をフル回転させる。

「イトコの結婚式があって、一週間だけ戻ってきたんです」
「一週間? 短いわねぇ」
「はい。でも、少しでもいいから、こっちに来たかった理由がもうひとつあって……」
「そう」

 真似できない彼女の素敵な笑顔が一瞬翳る。
 伏せた瞳を上げた時、ふと目が合った。
 その色気のある憂いの眼差しに、大きく心臓が跳ね上がる。

「また今度、ゆっくり来ますね」
「そうね。時間作ってランチでもしない?」

 一転、笑顔に戻った彼女は、そうですねと言って手を振り保健室を後にした。
 彼女の姿を見送ったホリちゃんは、しばらくそこに立ち尽くしたまま、腕を組んで首をかしげた。

「すいませーん、早退メモ下さい」

 さっきの美しい女の人も、あれから様子のおかしいホリちゃんも気になるけど、どうでもいいから今日はとにかく一刻も早く帰りたい。

「しおり」
「ん」
「風邪なんかひいてる場合じゃなわよ」
「ん?」

 口元に手をやり、考える仕草をしながら、ホリちゃんは私の横に座る。

「今の、あやのよ」
「……え」

 ウイルスに侵された私の身体を守ろうと、白血球が必死で戦ってるのが、いつもより強く脈打つのでわかる。
 ホリちゃんが真剣な顔で言った言葉も、朦朧とする意識の中、理解できない。

「あやの、梅宮あやの。伊吹の元カノよ」
「………」

 あやの、さん?
 たった今見た美人な彼女が、あの、あの……。

「えぇっ!?」

 視界がぐらりと大きく揺れたのは、たぶん、熱のせいだけじゃない。


back top next novel

home


Copyright(C) 2007 aoi narumi. All rights reserved.