Don't Touch! 3

back top next novel

file4-5


 膝が痛い。
 床に敷き詰められた、理事長こだわりのレンガはアンティーク風でカッコイイし、私も気に入っているのだけど、今度ばかりはそのざらざらな表面に膝をやられた。
 高校生にもなって、子供みたいに擦り傷を作るなんて思わなかった。
 じりじりと焼けるように熱い膝は、たぶん、血が出てると思う。

「発作か何かなの?」

 北原の横にしゃがんだあやのさんが、心配そうに聞いてくれるけど、私はただ首を横に振った。
 ちらりと北原のほうを見ると、いつものように私を睨みつけていて。
 三人が三人とも黙りこくったまま、いかにも気まずい空気が流れてる。
 不意に北原が私の右手を取ると、手のひらにできたかすり傷を見つけ、顔をしかめた。

「……ったく」
「なによっ」

 私は北原の手を振り払い、自分でも気付いてなかったその傷を見て、覆うように左手を重ねた。

「これくらい、大丈夫よ」

 北原から顔を背けると、表情を失ったあやのさんと目が合ってしまった。
 あやのさんは驚いたように目を大きく開いて、すぐに微笑を取り戻す。

「び、びっくりしちゃった。急にあんなふうになっちゃうから」
「……すいません」

 軽く頭を下げると、あやのさんは首を横に振った。
 そして、再び訪れる沈黙。
 私が立ち上がれば、ふたりも何か喋るだろうか。
 それとも、ふたりとも、私がいなくなることを期待してる?
 少なくとも、あやのさんは……。

「北原、留学するんでしょ。すごいね、がんばって」

 まったく気持ちのこもってない言葉の羅列は、薄っぺらで抑揚なんか全くない。
 顔だって、まともに見れっこない。
 立ち上がろうとすると、先に北原が立ち上がり、私の目の前には大きな手が差し出された。
 いつも意地悪なくせに、どうして今ここで、そんな優しいフリするの。
 あやのさんの前、だから?
 私は北原の手と、支えてくれようとしたあやのさんを避けて立ち上がった。

「あ、あと……この前は、私もごめんなさい。昨日は、ただそれだけ謝りたかったの。じゃあ」

 私も謝った。
 どうでもよかったけど、これでもう悔いはない。
 胸の中にもやもやとする何かも、倉田先生の時みたいにいっぱい泣いて、時間が経てば消えていくはずだ。
 右足をおそらく擦り剥いたところから、流れ出た血が伝っていくのがわかる。
 この場所から逃げ出そうと足を踏み出すと、鈍い痛みが走って思わず唇を噛んだ。

「桜井」

 背後から聞こえる北原の声にも、立ち止まらなかった。

「待てよ」
「伊吹!」

 それなのに、悲しく響いたあやのさんの声に、私も一度足が止まってしまう。
 近づいてきたはずの北原の足音も消える。

「お願い、行かないで」

 あやのさんの消えてしまいそうな声。
 振り返らずとも、正面にある窓ガラスに、うっすらと背後のふたりの様子が映し出された。
 北原の背中、肩のあたりに顔を埋めるあやのさんと、ゆっくりと彼女を振り返る北原。

 そんなの、見せつけないでよ。

 私は膝の痛みなんか忘れて中庭を飛び出した。
 廊下を走りながら、曲げると軋むような膝がやっぱり痛くて仕方なくて。

「バカっ」

 自由にならない膝のことか、こんなことしかできない自分にか、何に対してなのか、自分でもよくわからないけど、そう叫ばずにはいられなかった。
 夢中で逃げるように温室までたどり着くと、私は膝に手をつき、乱れた息を整える。
やがて身体を起こすと、右手には乾きかけた血がついていた。

「何やってるんだろ……」

 温室に足を踏み入れると、大きく溜息をついた。
 とたんに、さっきの北原とあやのさんの姿が脳裏をよぎり、血がついたままの右手で前髪をぐしゃりと握る。
 もう、嫌だ。
 でも、これでひとつ、また終わるのだ。
 北原がいなくなれば、こんな気分になることもないし、うんざりすることもなくなる。
 不思議と、涙が出なかった。

「せいせいしたわよ」

 だけど、どこか腹の虫が治まらない。
 あんな場面を見せつけられて、悲しいというよりも悔しかった。
 なんのつもりか、優しいフリをする北原にもムカついた。
 助けを求めるように、私はベンジャミンに触れる。
 いつものように、私の中を浄化して欲しい。

「え……?」

 触れたはずの葉が、手のひらをすべり、ゆっくりと地面に落ちた。
 はじめは、その一枚だけだったのに、指を伸ばすと、触れるか触れないかのところで次々と葉が落ちていく。
 ベンジャミンは乾燥に弱い。だから霧吹きで葉にも水をかけてあげなければ、こんなふうに葉が散ってしまうことがあるのだけど。
 何か、違う。
 私の、せい?
 そんな気がして、どうしても確かめたくて、私は昨日咲いたばかりのバラの花に指を伸ばした。

「………!?」

 指が触れた瞬間、中心部から弾けるように、幾重にも重なった花びらで形成された大輪が、一瞬にしてその形を失った。
 強い匂いを放って、薄いオレンジからピンクにグラデーションがかった花びらが、鮮やかに散っていく。
 私は自分の両手のひらを見つめ、不安になって祈るように両手を合わせて指を組んだ。
 今まで、こんなこと、一度もなかった。
 落ちた花びらを拾い上げると、わずかな粒子が指先から伝って私の中に降り注ぎ、そして、すぐに消えいく。
 私は狭い温室の中を見渡した。
 いつも受け入れてくれるはずの植物たちにも、見放されてしまったんだろうか。

「……どうして」

 指先が震える。
 また、ひとりになる。
 せっかく見つけたこの場所も、やっと心を開けると思った人も、失ってしまう。
 こみ上げる感情と共に、涙が浮かんでくる。
 ここにもいられないと思い、振り返ったときだった。

「……北原」

 弾んだ息を抑えるようにして、まっすぐこっちへ向かってきた。

「かなり遅刻」

 そう言って、腕時計を指差して私を睨んだ。


back top next novel

home


Copyright(C) 2007 aoi narumi. All rights reserved.