Don't Touch! 3

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file5 「innocent」


「退部届なら、私じゃなくて倉田先生に渡してよね」
「誰が辞めるなんて言った?」
「じゃあ、何よ。っていうか、あやのさんは? ひとりにしておいていいの?」
「遅刻については、謝らないのかよ」
「なっ……」

 この状況で、そんなことに謝れと言われて、私は頭を抱えたくなった。
 今って、それどころじゃないでしょ?
 どこまでも冷静な北原に対して、暴言が溢れ出しそうになったけど、必死で歯を食いしばって堪えた。
 だって、フツーじゃいられないのは私だけで……。

「ごめん……」

 中庭に寄り道しなければ、あんなふうにあやのさんとバッティングすることもなかったんだ。
 うつむいて、小さな声で謝った後、北原を上目使いで見た。

「早く、あやのさんのところに行ってあげて。私があんなふうに倒れたの見て、たぶんショック受けてると思うから」

 触らないで、なんて大きな声で言ってしまったし。
 何より、あやのさんは私たちの関係を誤解してるんだから。
 私たちは一緒にいない方がいい。
 北原から逸らした視線をどこに向けたらいいかわからなくて、なんとなく、さっき散ってしまったバラの花びらを見つめた。

「もう、いいんだ」
「え……?」
「それより、その膝、早く手当てした方がいい」

 もういいって、どういうこと?
 私の膝が痛いことこそ、北原にとって、どうだっていいじゃない。
 このまま、いつもと変わらない表情で、北原はあやのさんの後を追うのだろう。
 きっと、平気な顔して、私のこんな気持ちも知らないまま、いなくなってしまうんだ。

「北原、いつ行くの」

 聞いてどうにかなるものじゃないけど。

「行くってどこにだよ」
「留学に決まってるじゃない」

 見当違いな返答に、私は少しイラついて言葉を返す。
 私の気持ちが表に出たのか、北原もむっとして口を開いた。

「退部も留学もしない。俺は、どこにも行かない」

 真っ直ぐに、私から目を逸らさずに強い口調で北原が言う。

「え……?」

 どこにも、行かない?
 北原は、今そう言った。
 確かに退部も留学もしないと言ったのだ。
 98%ありえないと思ってた台詞に、私は一瞬目を丸くした。

「そんなの…あやのさんは、どうするのよ」
「あやのとは、もうずっと前に別れてる」
「だって」
「もう終わったことだ。他人に口出しされたくない」

 これ以上の反論を許さない、鋭い視線。
 だったら、さっきの抱擁は? 今朝の夢は何?
 聞きたいことも、言いたいこともたくさんあるのに、ちゃんと言葉にできるまで上手くまとめることができない。
 わずかな沈黙のあと、北原が眉根を寄せて大きな溜息をつく。

「桜井、前から言おうと思ってたけど」
「……何よ」
「お前って、ヒトの心が読めるくせに、どうしてそんなに思い込み激しいんだよ。肝心なところは鈍感で抜けてるし、嫌なことからはすぐ逃げて、どうしようもない馬鹿で。どうにかしろよ」
「どうにかっ……て……」

 できるもんなら、とっくにしてるわよ。
 そう、言い返そうとしたのに、驚いて声が出なかった。
 体が不意に引き寄せられて、今、私は北原の腕の中にいる。
 修学旅行の時みたいなアクシデントなんかじゃなく、確かに抱きしめられている。
 背中に回された手のひら、耳元に感じる吐息。

「俺も、桜井と同じ能力(ちから)がほしい」

 髪に触れる指先が、わずかに震えてるように感じた。

「桜井のこと、全部、知りたい。何考えてるのか、どう思ってるのか、全部」

 強く抱きしめられて、私も北原のジャケットを握る。
 全身が心臓になったみたいに、大きく波打っているようで。
 熱くて、苦しくて。

「桜井、好きだ」

 それ……って。
 ピンと来ない。

「好きなんだ。……ずっと、一緒にいたい」
『ずっと……ここに、一緒にいたい』

 あの時の言葉が重なって、私の胸の奥に響く。
 腕を離した北原が、少しだけ頬を赤くして、呆れた顔で私のことを覗き込んだ。

「いくらバカでも、告白の意味もわからないわけじゃないよな」
「………」
「おい」
「………」
「大丈夫か」

 徐々に不機嫌になる北原に、私は呆然としたまま頷いた。
 頬が、顔が、体中が熱い。
 自分の熱と、北原から伝わる体温に、頭の中が溶けてしまいそうで。

「ホントに、意味わかってるのか」

 真面目な顔して聞くから、私はもう一度、大きく頷く。

「だけど……」
「あやのには、ちゃんと話したよ。医者になるつもりもないし、もちろん留学なんて考えられない。それに、俺の気持ちは、春に別れたときに終わってるって」

 ずっと聞けなかったことを、確かめたかったことを、北原は簡単に答えた。
 あまりにもあっけなくて、現実感が無くて。

「あやのに何か言われたのか? 何を聞いたんだ?」

 私が能力のせいで何かを聞いたから倒れたのだと、北原もきっとわかってるはずだ。
 だけど、私が見たものを伝えるのは怖かった。
 強く北原を想う気持ち、どれだけ北原が彼女に心を開いていたのか、どんなふうに彼女のことを抱きしめていたのか。
 言葉に出来ない。

「桜井」

 うつむいた私の頬に、北原の手のひらが触れる。

「俺は、桜井に、そばにいてほしいんだよ」


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