Don't Touch! 3

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epilogue 「i hope...」


 木のいい香りと柔らかな空気が全身を包んで、私は一度、大きく深呼吸する。

「冷暖房完備、キッチン、トイレに洗面所にシャワー付きだよ」
「……シャワー!?」

 倉田先生のあとについていくと、言うとおり、小さなキッチンと、隣にあるドアの向こうには、ガラス張りのシャワールームが見えた。

「な、なんで」
「ほら、夏なんか汗かくでしょ? 理事長が自分で使うためにつけたんだって。だけど、みんなも使っていいって言ってたよ」
「マジで!? すげーじゃん、俺、ここに寝泊りしよっかなぁ」

 呆れる私をよそに、にこやかな倉田先生と川島くんはシャワールームを覗き込みながら楽しそうにそんなことを言う。
 そして、今度はキッチンの扉を片っ端から開けて、冷蔵庫だレンジだなんだを確認して満足そう。

「伊吹、すごくね? 俺、ここで勉強……って、いねーし」

 嬉々とした顔で振り返った川島くんだけど、そこにお目当ての北原はいなかった。
 私も振り返って、さっきまでいたはずの姿を探すけど、いつの間にかここを出たのか見当たらない。

「理事長は、きれいに使ってくれれば問題ないって言ってたから、よろしくね、桜井さん」
「あ、はぁ……」

 ついに、ログハウスの部室が完成したのだけど。
 部室というより、ちょっとした家だ。
 12畳くらいの1Kルームには、4脚のイスにはもったいないような、大きな一枚板のテーブルと、暮すのに十分な設備が整ってる。
 テレビなんかの娯楽電化製品や、ベッドだソファなんてものは無いけど、寝袋で床に転がればゆっくり眠れそう。
 さしずめ、理事長の隠れ家とでもいったところか。
 倉田先生と川島くんは、まだふたりで楽しそうにあちこちに手をつけてるけど、私はもう一度ぐるりと部屋を見渡して、外へ出た。

「さむ……」

 すっかり冷たくなった風に、両腕をさすり、身を縮める。
 三段の階段を降りると、私は目の前の温室に駆け込んだ。

「どうだった?」
「あ、北原もあとでゆっくり見たら? あれが部室だなんて、すごく贅沢な感じ」
「へえ」

 土の乾き具合をチェックしながら、北原は緑のジョーロで水をあげていた。
 夏休みの終わり、北原が園芸部副部長宣言をしてから、今では水遣りも手入れも、すっかり手馴れたものだ。
 私が一時期、ここに近寄りたくなかった時も、マメに世話をしていてくれたのはわかってたけど。
 なんだか、不思議。
 宮元先輩と香奈のことがあって、いつのまにか北原がここに居座るようになって。
 川島くんの事件が起きて、ふたりが園芸部員になって。
 半年前に考えられなかった状況が、今ここにある。
 初めて北原にあった時、まさかここで一緒に並んで植物の手入れをするなんて、思いもしなかった。
 まして……。

「何、ぼーっとしてるんだ」
「えっ、あ、や、べつに……」

 私の返事に、呆れ顔でちょっとだけ微笑む。
 こんなふうに北原が私に微笑んでくれるとか、全然考えられなかったし。

「今日、補習は?」
「今日は無いの」
「へぇ、めずらしいこともあるもんだな」
「……くっ」

 北原を見ると、優しい微笑みはどこへやら。
 いつもの嫌味たっぷりの目で私を見下ろし、片方の口角だけ上げて笑う。
 な・ん・な・の・よっ!

「私だって、そんなに毎日毎日補習ってわけじゃないわよ」
「ふぅん。そういえば、来週からの考査、大丈夫か?」
「えっ……」
「約束、忘れてないよな」

 視線を手元の植物に戻して、だけど口調は私に念を押すように言う。
 忘れていないけど、忘れたいです。
 そんなこと、言えない。
 だけど、何か言い返さなきゃ、嘘でも忘れてないって言わなきゃ、また睨まれそう。

「桜井」
「は、はいっ?」

 引きつって鋭い視線を受け止めようとするけど、北原は手元から目線を動かさず、私を手招きする。

「ちょっと」
「……何?」

 恐る恐る近づくと、私も北原の視線の先を追った。
 そこにあったのは。

「あ……咲いてる」

 驚いた。
 倉田先生にもらったあの花が、薄桃色の五枚の花びらが大きく開いている。
 この花を見るのは、夏休みあとから、これで二度目だ。

「桜井さん、願い叶った?」

 振り返ると、倉田先生が笑顔で立っていた。

「えっ、は……ははは」

 はい、と頷くのが恥ずかしくて。
 そのまま笑って誤魔化すと、先生は私たちの横に並んで、花を覗き込んだ。

「じゃあ、この花が終わったら、次は北原くんだね」
「え?」
「桜井さんの願いは叶ったみたいだから、今度は北原くんがこのコの世話をしてあげて。花が咲いたら、願いが叶う、不思議な植物」

 そう言って鉢に手を伸ばすと、倉田先生は直々に北原に手渡した。
 ニコニコ満面の笑みの倉田先生と、呆然とそのやり取りを見つめる私を交互に見たあと、北原は首を若干傾けたまま頷いた。

「……わかりました」

 納得してないふうだけど、あげたほうの倉田先生は満足げに温室を出て行く。
 私にくれたはずの物だったのに、あっけなく北原に所有権を奪われて、今更ながらちょっと悔しい気分になった。

「いいのか?」
「え?」
「俺が貰っても」
「だって、先生が北原に世話を任せるって言ったんだから、しょうがないじゃない」

 言い終わった後、未練がましい台詞になってしまったと後悔する。
 北原がどう思うか、ちょっとだけ気になったけど。
 私は北原の手の中に収まってる花を、人差し指でそっと触れてみる。
 静かに揺れる名もなき花に、私は心の中でありがとうと呟いた。

「桜井が、俺と同じ大学に行けますように」

 頭上から降ってきた冷静な声に、私の思考回路が凍結する。

「な、んて?」

 すぐさま顔を上げて、耳を疑うような言葉をもう一度復唱してほしくて聞き返した。

「だって、願いが叶うんだろ?」
「そーじゃなくてっ」
「『桜井が、俺と同じ大学に行けますように』?」

 あまりにも衝撃的な「お願い」に、私は言葉を失った。
 絶対、ぜぇーったい、

「無」
「無理じゃない」

 無理! って言おうとした私に、すかさず北原が声を被せた。
 いつもの有無を言わさぬ、目を逸らすことのできない鋭い視線が私を見下ろしている。
 そして、楽しそうに微笑んだ。

「倉田先生の夢を壊さないためにも、願い叶えような」
「うっ……」

 嘘でしょっ!? 冗談、有り得ないーっ!!

「伊吹ーっ、部室見たのかよ。マジですげーから、早く来いよ」

 温室の入り口から聞こえてきた川島くんの声に、私はびくりと肩を震わせ振り返る。

「わかった。今行く」

 鉢を元の場所に戻して、北原は平然と私の横を通り過ぎ、川島くんと一緒に部室に向かう。
 北原がいなくなった瞬間に、窒息しそうだった私は何度も大きく息をした。
 こんなの、想像してた恋愛じゃないーっ。
 今後の高校生活を思うとウンザリして、私はがっくりと肩を落とした。
 北原が同じ大学に行きたいって思ってくれてるのは、嬉しいんだけど。

「やっぱり、絶対違うっ!」

 もっとこう、優しくするとか、慰めてくれるとか……。
 なんて、そんなことを北原に期待すること自体が間違ってるのかも。
 私たちがベタベタするのなんて、やっぱり想像できないし。
 今更ながら、とんでもない相手を好きになってしまったんだと、私は溜息をついた。



 第三部 完結 四部へつづく 




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