Don't Touch! 3
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THUMP X THUMP side Shiori
突然、目の前を横切った白い影は、私の背丈以上ある水面から顔を出したかと思うと、狭い水槽の中、その大きな身体を器用にくねらせてターンする。
子供のころ動物園で見た事のある白くまは、陸上でだらりと寝そべったままで、こんなに動くものだと思わなかった。
「すげぇ」
私が言おうとした台詞を先に口にしたのは、後ろにいた北原だった。
あざらし館で香奈が北原のことを見つけ、一緒にまわろうなんて声を掛けちゃったばっかりに、私の後ろにコイツがいる。
同じ日にココにくるのは、川島くんから聞いてたけど、まさか本当に会うとは思わなかったし、できれば会いたくなかったのに。
もし動物園で北原を見つけたら、どんな様子だったか川島くんに報告することになってるから、ネタになるといえば、それまでなんだけど。
私も北原がイメージにない行動をするのかどうか、正直興味がある。
だいたい、北原の口から「すげぇ」なんて俗語的形容詞が飛び出すこと自体、「すげぇ」ことだ。
白くまの姿を追う瞳は、真っ直ぐで初めて動物園に来た子供みたいにきらきらしてる。
これは、要報告! なんて気付かれないように笑うと、北原はまるで吸い込まれるように館内に入っていった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
追いかけようとして香奈の姿を探すけど、いつの間にやら見当たらない。
「香奈っ?」
辺りを見渡すと、ちょうどバックの中でメール着信音が響いた。
『ちょっとメイク直し中なの。北原くんから目を離さないで、しろくま館で待っててね 香奈』
「……ったく」
メイクなんかしなくたって、香奈は十分可愛いと思うけど。
ま、本人が納得するまで待とうと、私も北原を追って館内に足を踏み入れた。
まばらな人の中で、北原はまるで水族館みたいな水槽のガラスの前で、パンツのポケットに手をつっこんだまま、ガラスの向こう側で悠々と泳ぎ回る白くまを見つめている。
制服姿と違って、ラフな格好を見るのは初めてで……なんだか、妙な緊張感に私は一度大きく息を吐いた。
前のめりになって水槽を覗きこむ北原の横に立ち、わざとらしく私も同じ目線になってみる。
きっと、なんだよ、って言いそうな顔してこっちを睨むと思ったのに、目が合うと北原は私に微笑を返し、再び水槽に視線を戻した。
……何っ!?
こんなふうに「微笑む」だなんて。い、一体北原に何が起きてるの!
硬直して動けない私をよそに、北原は体を起こした。
「ホッキョクグマの体毛ってさ、特殊な構造で内部が空洞になってて、透明だから白く見えるだ」
「……へぇ」
「動物園のクマは、その空洞に汚れが入り込んで変色して見えるとも言われてる」
「ふぅん」
北原が雑学の知識を持ってるのは納得するけど、その対象が動物で、今まで見たことのない、楽しそうな表情で白くまを眺めていることに、私はちょっと驚いて彼を見上げる。
「身体の色や表情から、可愛いなんて言われることもあるけど、実際クマだからな。それなりに獰猛で雑食だし、さっき見てたアザラシも、仔グマも、こいつらのエサになるんだよ」
「仔グマも?」
「あぁ。仔グマがオスの成獣に捕食されるケースはある。動物園でも、父親であるオスに、仔グマが檻の間から足をだしたところを、食いちぎられた例もあるんだ」
「……北原って、動物好きなの?」
明らかに饒舌で、声のトーンが明るい。
イメージにナイと思いながらも、私は聞いた。
「……俺、獣医になりたいんだ」
「獣医さんっ?」
なんとなく……北原は、その冷静な顔で、人間のカラダを切り刻んでる方が似合ってる気がするけど。
北原=動物のお医者さんなんて、予想外で驚いた。
「元はといえば、桜井のせいだよ」
「えっ」
瞬間、私が北原にしてしまった幼い頃の言動を思い出す。
それについては、私自身、謝っても謝りきれないと思うほど引け目を感じていた。
だけど、私を見下ろす北原の顔は、恐れていたほど冷たい表情じゃなく、いつもよりずっとリラックスしている。
キツイはずの目元も、今だけは優しく見えた。
「あれから、誰とも口をききたくなかった俺にとって、友達は、犬とか猫とかうさぎとか……じいさんちにいた動物たちだったからな。そいつらが無力な俺の手の中で死んでいくのをみて、絶対将来獣医になろうって決めてた」
「そう、なんだ……」
頷いて、北原は何か考えるような仕草をした後、また深く頷いた。
そして顔をあげ、今度は陸に上がった白くまを見つめてる。
あまり見たことのない北原の横顔から、私は目を離すことができなくて。
「桜井ってさ」
その目が突然こっちを向いて、思わず身体がびくりと震えた。
「動物の声も、聞けるのか?」
「あ……うん。ヒトとか、植物なんかとは、また違う感じなんだけど……」
「どんなふうに」
「うーん……猫を撫でてて、おなかがすいてるとか、眠いからほっといてほしいとか、言葉じゃないけど、そういうものは伝わってくる時もあったかな」
「へぇ」
今までとは違って、明らかに興味津々に聞いてくる北原に、私は少し戸惑ってしまう。
「動物の話だけ聞けるなら、その能力も羨ましいな」
にやり。
私が嫌いな片方の口角だけ上げた笑みに、やっといつもの北原が戻ったようで、どういうわけだか安心した。
こんな能力、あげられるもんなら、熨斗まで付けて、もれなく差し上げたいくらいだ。
ふと、入り口の方から賑やかな声が聞こえて、私たちが振り返ると、母親から祖母世代の女性たちが、一斉に押し寄せてくる。
大量のオバサマたちの襲来に、肩身の狭くなった私たちは顔を見合わせた。
「出るか?」
「あ、でも、香奈がこっちで待ってろって」
「そうか」
ケラケラと甲高い笑い声やら、歓声やら……。
誰がいようとお構いなしの行動に、私は背中を押されて身体がよろめいた。
「おい、大丈夫か」
「うん」
苦笑する私に、北原は後ろにある階段の上へ行こうと指差したのだけど。
振り返ると、私はいつの間にかオバサマたちに囲まれていた。
「ぐ…ぇぇ……」
水槽に向かってカメラを向ける腕やら、たっぷりと年月をかけてついたであろう肉厚に押しつぶされて、北原を見失う。
あぁ、もう、ぜったいこんなオバサンにはならないーっ!!
「桜井!」
呼んでくれる声すら、熟年トークにかき消されそう。
独特の化粧や防虫剤の臭いに倒れそうになりながら、隙間から手を伸ばす。
あと一枚壁を越えれば、この圧力から抜け出せるのに!
とりあえずその壁を越えて自由になった右手を、かくかくと動かすと、向こう側で誰かがその手を握ってくれた。
「離すなよっ!」
「うん!」
もう、ダメ、潰されて窒息しそうーっ!
しっかりと握られた手を離さないように、私はその手を強く握り返した。
そして、その手が引っ張られるとほぼ同時に、私を挟み込んでいたオバサマたちが突然動きの向きを変えた。
「えぇっ!?」
圧迫するものがなくなり、身体が解放された私は、勢いあまって目の前にあったモノに抱きついてしまった。
衝突した顔面が、痛い。
そう思って、顔を上げようとしたときだった。
『ずっと……ここに、一緒にいたい』
な、に?
淡く、消えそうな、優しい感情。
このままでいたいと思ってしまうような、包み込まれるような心地良さ。
「あら、やだ、若い子は節操がないわねぇ」
いかにもこっちに言い聞かせるような口調が背後から聞こえて、私は慌てて顔をあげた。
目の前にあったのは、私を覗き込む北原の顔で。
「ご、ごめん!」
そのあまりの近さに驚いて、とっさに謝ると同時に身体を離した。
苦しかったから。
オバサマたちに挟まれて息ができないほどもみくちゃにされたから、だからこんなに心臓が早鐘を打つんだ。
「鼻」
「へっ!?」
「赤くなってる」
「な、何よっ」
いつもの調子で蔑み笑う北原に、私は鼻を押さえて睨んでやる。
だけど。
確かに北原から伝わった、あの時の、声は、何?