Don't Touch! 3

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THUMP X THUMP side Ibuki


 俺、喋りすぎてる。
 気がついて、いつものペースに戻そうとした時、アクシデントは起こってしまった。
 熟年女性の大群をかわして、相沢を待とうとしたものの、振り返ると桜井の姿が見当たらなくなっていた。

「桜井!」

 耳を覆いたくなるような賑やかな笑い声に、返事も聞こえない。
 それにしても、あいつは馬鹿なだけじゃなく、行動も鈍いのかと半ば呆れた。
 まぁ、いい。
 ツアーの集団は、そうそうひとつの場所にとどまることを許されないだろうから、ある程度時間がたてば、ボロボロになった桜井がこの中から吐き出されるはずだ。
 そう思ったとき、人だかりの隙間から手首から先だけが飛び出してきて、まるでホラー映画のワンシーンみたいに手招きをする。
 身長とバランスのとれた、ごく普通の小さい手のひら。
 それなのに、本来わかるはずのないものを、この手はすべて見通してしまうという。
 俺は、いつもよく見ているその手を握った。

「離すなよっ!」
「うん!」

 力を込めて腕を引いたとき、集団は一気に動きを変え、とたんに押さえるものをなくした桜井の身体は、俺の腕の中に飛び込んできた。

「えぇっ!?」

 桜井の叫び声と、マヌケな顔。
 小柄な身体も、勢い余って強い衝撃で俺の胸に衝突する。

 ずっと……ここに、一緒にいたい。

 桜井に対して、こんな感情を抱くようになったのはいつからだろう。
 彼女が誰かに恋をする表情に、嫉妬して焦燥に駆られ、その恋を失ったことに、どこか安堵していた。
 ひとりでも大丈夫だと強がるくせに、肝心な時は頼りなくて、見てられなくて思わず手を差し伸べたくなる。
 ワガママでマイペースな猫みたいで。
 すっぽりと胸の中に収まっている彼女の背中に手を回そうとしたときだった。

「あら、やだ、若い子は節操がないわねぇ」

 大勢のギャラリーがまだそこにいたことを、俺はすっかり忘れていた。
 目を丸くした桜井が顔を上げると、思っていたより近い距離に息を飲む。

「ご、ごめん!」

 慌てて俺から離れた桜井は、薄暗い照明の中でも顔を赤くしているのがわかった。

「鼻」
「へっ!?」
「赤くなってる」
「な、何よっ」

 わざとからかってやると、ますます顔を赤くしてこっちを睨む。
 だけど、その瞳が泳いでうつむいた。
 彼女の背後にいた強力な集団は、ホッキョクグマとの短い対面を終わらせて、続々この場所を後にする。
 ざわめく彼女らと対照的に、桜井と俺の間には、ほんのわずかな時間、妙に静かで気まずい空気が流れた。
 ……もしかして、聞かれた?
 いつも、桜井に触れるときは、できるだけ感情を抑えるようにしている。
 自分の気持ちを悟られたくないだけじゃなく、お互いのために。

「あ、れ……?」

 乱れた黒髪を手で梳かす仕草をした桜井は、両手で頭を押さえながら周りを見渡した。

「帽子っ」

 そう言う彼女の真後ろに、踏みつけられた丸い黒いものを見つけて、俺はそれを拾いに行った。

「ひどいぃ……」

 もみくちゃにされたあげく、何人かに踏まれたであろう桜井の帽子を拾い、なんとか形を戻して桜井の手の中に返す。
 桜井はげんなりした顔で受け取ると、ホコリを手で払い落とした。

「ありがと」

 小さくそう呟くと、帽子を被りなおして俺のほうを向いた。

「北原なら、いい獣医さんになれるよ」
「………」
「なんとなく、そんな気がする」

 どんな根拠があってそんなことを言えるのかと思ったけど、悪い気はしない。
 再び静かになった水槽の前で、桜井はガラスの向こうにいるホッキョクグマに視線を向けた。

「父親が医者でさ。同じものを求められてて、獣医になりたいってことはまだ話してないんだ」
「えっ、お父さん、お医者さんなの?」
「あぁ。でも、俺は人間のカラダなんて興味ない」
「へぇ……」
「桜井の頭の中は、興味あるけど」

 表情をうかがうと、頬をひきつらせて目を吊り上げてる。
 面白い。
 もし、桜井と同じ能力があったなら、今すぐコイツの頭の中を覗いてやりたい。
 今何を考えて俺のこと、睨んでるのか。
 どうせ悪態ついてるんだろうとは思うけど、桜井はそういうことをあえて口にしないところがある。
 そのぶん、顔に出てることに、コイツ自身気付いてるんだろうか。

「ごめーん、遅くなっちゃった。オバサンの大群がいて、入り込めなかったよ」

 相沢が手を振りながら駆け寄ってきて、俺は腕時計を見た。

「もうっ、遅いよ、香奈。大変だったんだから」
「そうなの? 何かあったの?」

 女同士のおしゃべりを見てると、いつかこのふたりもさっきの熟女集団に仲間入りするんだろうと想像する。

「桜井」
「え?」
「悪いけど、これからここの獣医さんの話を聞くことになってるから行くよ。じゃあ、また学校で」
「あ……うん」

 呆然とする相沢には悪いけど、約束がある。
 俺はふたりに背を向けて歩き出した。
 憧れの場所に来て、少なからずテンションが上がっていたとはいえ、学校では話せないようなことまで口が滑ってしまった。
 他人に、必要以上に踏み込まれることは嫌だ。
 すべてを打ち明けたヒトを、また失うことも望んでない。
 だけど、今までの桜井を見てきて、彼女が手を差し伸べてきた相沢や川島を見て、何かを期待してしまう。

「………」

 外へ出ると、眩しくて思わず目を伏せた。
 俺たちが住んでいる街より、ずっと冷たくて乾いた風がすり抜けていく。
 いつか、こんな場所で働きたい。
 心からそう思えないのは、父親の姿が脳裏をちらつくからだ。
 アイツなら、どうするかな。

「『いい獣医さんになれる』、か」

 立ち止まって考えていても仕方ない。
 桜井に言われたことを思い出しながら、俺は前へ歩き始めた。


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