Don't Touch! 4

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file2 「emergency」


『淋シイヨ……答エテ』

 ダルイ。ダルイ。ダルイーっ。
 頭が重くて痛くて、わずかに火花が散るような痺れが消えない。

「死にそう」

 カバンを抱えて温室に向かいながら、私はひとり、うなだれてつぶやいた。
 最後の授業が終わると、HRなんて待たずに教室を飛び出してきた。
 あの日、三日前に体育館で声を聞いてからというもの、気が緩むと今みたいに、例の「声」が聞こえてくる。
 でも、初めての時のように、扉をこじ開けようとする感覚はない。
 むしろ、私の隙をみて、声をかけてくるような気がする。
 相手が絶え間なく私に何かを発しているのか、それとも、私の隙を見抜くことができているのか、わからないけれど。
 頭の中は緊張しっぱなしだし、相手が誰なのか、一時無くなりかけた人間不信も復活しつつある。

「もしかして、ユーレイとか?」

 いや、ナイナイ。
 そんなんじゃないと、自分自身に首を横に振る。
 ユーレイなんかより、生きてる人間のほうが恐ろしいことを、私は知ってる。
 それにしても、今は勉強に集中しなきゃいけない時なのに。
 独り言の次に溜息をついて、私は足早に温室へと向かった。
 温室内に逃げ込めば、どんなに頭のネジを緩めても、「声」は聞こえない。
 結界、シェルター、なんでもいいけど、そんな感じ。
 悲しみを帯びた哀願に背を向けることに、抵抗がないわけじゃない。
 助けを求めているなら、手を差し伸べたいし、出来ることはしてあげたいと思う。
 そうやって、いままで香奈や川島くんが「友達」と呼べる存在になったのだから。
 でも、今回は違う。
 四日前に私のこめかみを突き抜けた何かによって、脳内にできてしまった空洞。修復しきれないそこを通って、呼びかける声は響く。
 私が読み取ろうとせずとも、向こうから入り込んでくる。
 おそらく、意図的に。
 
 誰が? 何のために?

「うーっ、もう、やめやめ!」

 温室に入ると、入り口にカバンを置いて私専用の丸イスを持ち、この時期次から次へと花を咲かせるクリスマスローズの前に座った。
 冬の日差しに溶けてしまいそうな、やさしい薄桃色の花が、はずかしそうにうつむいて花びらを広げている。
 何本か切って、部室に飾ろうかな。

「今日は少し、暖かくなったね」

 花びらに触れようとした時、南海先生の声がして、私は入り口のほうを向いた。
 やれやれと少し疲れたように頭を抱え、溜息をつき私に向かって苦笑する。

「先生、HRは?」
「ん? きみと同じ」
「え……いいんですか?」
「あの教室が、こんなに窮屈だとは思わなかったよ」

 きっちりと締めてあったネクタイを緩めると、ポケットに手を突っ込んでそばにあった丸イスに座る。
 本来、それは川島くんのイスなのだけど、この三日間、こうして放課後やってくる南海先生の定位置となった。
 私と先生は顔を見合わせると、思わず笑った。

「ダメな生徒と先生ですね」
「ちょい待ち、俺まだ先生じゃないし」
「じゃあ、ダメな実習生?」
「……そういうの、ヘコむからやめてくれよ」

 情けない顔をする先生をちょっとだけ笑ってから、私はごめんなさいと謝っておく。
 川島くんは一瞬でいいヒトなんてわかんないって言ってたけど、やっぱり南海先生はいいヒトだと思う。
 いつもは担当しているクラスのHRが終わると、少しの間ここに顔を出して、私と他愛ないおしゃべりをしてくれる。
 本当の先生みたいに隔たりも感じないし、かといって決して同じ高校生的視点でもなく、香奈が言っていたように、ちょっとオトナな存在なのだ。
 南海先生が担任だったら、私だってもうすこし勉強も頑張れたかもしれない。
 先生とふたりでいられるこの時間は、とても居心地が良い。

「可愛い花だね」

 立ち上がった先生が、私の目の前にあるクリスマスローズに触れる。

「あぁ、今、切って部室に飾ろうと思ってたんです」
「切っちゃうの、可哀相だね」
「……でも、花は咲いたら切っちゃった方が、また次の花が咲くんですよ」
「ふぅん」

 首をもたげた花を優しく手のひらで包む南海先生の表情が、言葉の通り悲しそうで。
 私はその横顔に息を飲んだ。
 優しく力の抜けた笑顔とは対極にある、悲しみの後ろに何かを隠しているような。
 不意に彼の瞳がこっちを向いて、私はすぐさま目を逸らした。

「は、鋏持ってきます」

 妙に早鐘を打つ心臓に手をあてて、落ち着かせようと立ち上がると、動揺したままあたりを見渡した。
 最近は川島くんがあちらこちらに鋏を置いたままだから、きっとその辺に転がってるはずだけど。

「あった」

 ちょうど手が届くか届かないかの距離、棚に置かれた鉢と鉢の間に、赤い持ち手の鋏が見えた。
 横着な私は、もうちょっと足を進めればいいのに、ぐっと腕を伸ばした。

「あと、ちょっと……」

 そう思って、爪先立ちする。
 届、いた?
 指先に硬い物が触れたか触れないか、その時、頭の中で黄色信号が点滅した。
 マズイと思ったときには視界が揺れ、バランスを崩した身体は、重力にしたがって地面に不恰好に落下する。

「桜井さんっ!?」

 鉢を道連れにしてはいけないと頭の中ではわかっていたものの、人間、いざとなると必死に何かにすがるのだ。
 無様な格好で地面に横たわった私の身体には、ひっくり返してしまった鉢の土が降り注ぎ、空っぽになった鉢が、私の横に転がっている。

「大丈夫?」
「………」

 い、い、痛い。
 痺れるように痛む腕に、なんとか力を込めて体を起こすと、土がパラパラと地面に落ちた。
 そして、目の前で南海先生が堪えきれない様子で噴出した。

「あは…ご、ごめん」

 謝りながらも大爆笑してる。
 そりゃあ、そうだろうけど。
 恥ずかしいやら、情けないやら、制服に付いてしまった土を払いながら、私のテンションは果てしなく下降していく。
 鉢の横に無残に転がっているミニバラの株を見ながら、私は溜息をついた。

「大丈夫?」

 まだ笑みを含んだ声に、笑えない私は恨めしく南海先生を見た。
 屈託のない無邪気な彼の笑顔が、次の瞬間、ふと大人びた微笑に変わった。

「はい……」

 頷いた私の頬に、ゆっくりと南海先生の指先が伸びて、私は思わず体をこわばらせた。


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