Don't Touch!

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file4 「heart」


『Don’t mind! しおり。長く生きていればそんなこともあるわ。大丈夫、心配しなくても、そのうち自然と解決するから』

 お姉ちゃんからそんなメールが届いて、私はがっくりと肩を落としていた。
 私の心の中とは、まるで正反対な真っ青な空が、窓の向こうに広がっている。
 眩しすぎて頭が痛くなりそうで、私が机に顔を伏せようとした時だった。

「ちょぉーっとぉ、しおりっ! アンタの彼、浮気してるわよ」

 噂好きの美優が息を切らして目の前まで来ると、私の机を両手で大きな音をたてて叩いた。
 一瞬、クラス中の奇異な視線がこっちに向けられる。
 大きく開いた美優の目は迫力満点で、アンタの彼、という部分を私は否定できないでいた。

「アイツ、ホリちゃんと抱き合ってたんだって」

 少し声のトーンを落として、前の席のイスに座ると、ふぅと小さく溜息をついて、目を細めて首を振った。
 溜息をつきたいのは、こっちの方だけど。

「しかもね、ホリちゃん、その時泣いてたらしいのよねぇ。何があったのかは、よくわかんないっていってたけど」

 と、チラッと私を様子を伺うようにこっちを見た。

「たぶん、私が思うんだけど。彼が、しおりと付き合い始めて、ホリちゃんショックだったんじゃないかなぁ。やっぱり私より、若い子がいいわよね、私なんかじゃだめだったのよね、ってホリちゃんが言ってるのを、アイツが、ごめん、わかってくれよ、みたいなっ」

 人差し指で私を指差しながら、にやりと笑う。
 ようやく美優のビックマウスがおとなしくなって、私は呆れて口を開いた。

「ちょっと、やめてよ。だいたい、アイツと付き合ってなんかないって言ったじゃん」
「またまたぁ。しおりと北原くんはお似合いだよぉ?」

 そういう問題か?
 ってか、アイツと付き合ってる自分を想像したら、かなりキモチワルイし、お似合いなんてとても思えないんだけど。
 
「けど、それ、本当?」
「マジ。どこでなのかは、聞けなかったんだけどね。やっぱ、嫉妬してる?」

 いやらしく横目で私のことを見ながら、美優がヒヒヒと笑った。
 私は思いきり嫌な顔をして、首を横に振る。
 どうせこれ以上否定したって信じてくれないから、美優はほっとくとして。
 抱き合ってたって!?
 予想はできたけど、想像もしちゃったけど、なんか、ショックだな。
 確かに二人はお似合いだけど、だけど……。
 心の奥が、ざわざわする。
 よくわからない不安が、胸の奥の方からこみ上げてくる。
 
「しおりちゃん」

 その不安を和らげるような、優しい石鹸の香りと共に、彼女の声が聞こえてきた。
 顔を上げると、さっきの授業で気分が悪いって保健室にいってた香奈が、まだ青い顔して立っていた。

「彼氏、来てるよ」

 精一杯、微笑んで、香奈が教室のドアを振り返る。
 その視線の向こうには……。

「噂をすれば。北原くんじゃん」

 声を小さくして、美優が耳元で囁いた。

「なんで?」

 私はそう言ったまま、開いた口がふさがらなかった。
 ドアにもたれる長身が、腕組みしながら床に視線を落としている。
 クールで端正な顔つきで、こうやって客観的に見れば、それなりに格好いいと思う。

「しおりちゃんのこと、呼んでるよ」
「へ!?」

 無邪気な香奈の笑顔と声が、今ばかりは鬱陶しかった。
 相変わらず横で歯をむき出して笑ってる美優と、香奈に見送られて、私は渋々北原の方へと向かった。
 廊下で会って声をかけられたり、また保健室で会ったりする分にはかまわないけど、呼び出されるのはなんとなく気がひける。
 だけど、もしかしたらホリちゃんに何かあったのかもしれないと思うと、こんな私の気持ちは後回しだ。

「何か、あったの?」

 私の声に、こっちに視線を向ける。
 ただこっちを見てるだけなんだろうけど、睨むような視線になるのは、コイツにとって損なことじゃないかと思う。
 ホント、気分悪くなるんだよね。

「現国の教科書、貸してくれないか」
「え?」
「あと、物理と英語」
「なんで?」

 思わず私は首をかしげた。

「カバンでも忘れたの?」

 成績優秀の北原が忘れ物するはずないし、まぁ教科書がなくったって勉強できちゃうんじゃないかと思うんだけど。
 すぐに貸そうとしない私にイライラしたのか、溜息をついて組んでいた腕をほどいた。

「見る?」

 何を? って聞く前に、北原が私の手首をつかむと、ぐいぐい引っ張って私をどこかへ連れて行く。

「ちょ、ちょっと、何なのよっ!?」

 休み時間の廊下を、こんなところを見られたら、ますますみんなに誤解されちゃうよ。
 痛いくらい強くつかむ手は、離そうにもほどけない。
 周りの目を気にしながらも、やがて北原の背中の向こうに人だかりが出来ているのが見えてきた。
 ちょうど、コイツのクラス、一組の前だ。
 野次馬の一人がこっちを振り返って、道をあける。
 そして、そこにいる全員の目が、北原の方を向いた。

「こういうこと」

 溜息交じりの北原の声が聞こえて、手首が開放される。
 野次馬の目は、北原を向いた後、一斉に私のほうに向けられたが、すぐに床の現状に戻された。
 その視線に引っ張られるように、私もそこを見た。

「何、これ……」

 床に広がるのは、散り散りに引き裂かれた沢山の紙きれ。
 教科書らしき表紙の一部がちらりと見えた。
 そして、ロッカーの一つが開けられて、そこから崩れ落ちるように引き裂かれたジャージがぶら下がっている。
 紙片は、後ろのドアから教室内まで続き、後ろの窓側近くにある一つの机の上で、小さな山を作っていた。

「教科書も、ノートも、全部だよ。暇なヤツがいたもんだよな」

 静かな声が響いた後、騒然となった教室に入った北原が、机の上に積もった紙片を一度に手で払った。
 一気に散らばる白い紙吹雪。
 まだ残る紙を丁寧に払おうとする、北原の手が止まった。
 ドアのところで立ち尽くす私からも、彼の表情が険しくなっていくのがわかる。
 思わず私はそこへ駆け寄った。

『死ね』

 机一杯に黒いマジックで大きく書かれた文字。
 
「ガキ以下だな」

 顔を上げると、目を細めて机の文字を見つめる北原がいた。
 ふと表情を緩めてこっちを向いた。

「桜井、机も貸してくれる?」

 あくまで冷静に、いつもと変わらずに、すこしだけ嘲笑交じりに。
 でも、苛立っているのが体中から伝わってくる。
 私は机の上に残る紙切れを、一枚そっと手に握った。

「とりあえず、教科書は、貸すよ」

 ちょうどチャイムが鳴って、現国の先生が教室に入ってくると紙くずの散乱した教室内に驚いたようだ。
 ざわめきながら生徒たちも教室内に戻ってくる。
 私は急いで教科書を取りに戻った。


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